5:40に出発し御来光を拝みに行きました。まだ暗くライトアップされたパゴダが見えました。
シュエサンドーパゴダに登り、御来光を待ちました。
朝焼けを浴びて、パゴダの大地は朱に染まりました。
6:35 日の出です。パゴダの大地に朝日が射しこみ、夜が明けました。
日の出と共に、熱気球が次々に上り、パゴダの大地にやってきました。
明るくなり、全容が明らかになったシュエサンドーパゴダです。
御来光を拝んだ後、ホテルに戻り、中庭で朝食をとりました。
8:10に出発し、ホッパ山を目指します。田園風景です。この辺は畑ばかりのようです。
途中、ヤシからとれる砂糖などを実演販売する店に寄りました。ここのヤシ酒は蒸留酒でした。
乾季のため水の枯れた川です。穴を掘って水を汲んでいました。
牛車が見えました。ドラム缶の水を運んでいるようでした。
街道筋の果物屋です。釈迦頭などが並んでいました。
今日登る岩山ダウン・カラッに2時間で到着です。高低差120m、777段の階段を登ります。
2頭の象の門から入ります。777段の内、約500段ははだしで登らなければなりません。
始まりの所に聖人ボー・ミン・ガウンの像があります。この山で神通力を得たと言われています。
みやげ物屋が並ぶ参道を登っていきます。約200段は靴を履いて歩いていけます。
参道には猿がいます。バッグなどを取って行くそうで、メガネを取るのを目撃しました。
高低差120m、777段の階段、思ったより大変でなく、約20分で頂上にたどりつきました。
頂上にあるパゴダのひとつです。
この岩山は土着宗教の聖地でもあり、色々な仏様が祀られています。
頂上にあるもう一つのパゴダです。いづれも金色に輝いています。
頂上からの眺望です。遥か遠くに見えるのがホッパ山(標高1518m)です。
この岩峰タウン・カラッは、ホッパ山が噴火した時に吹き飛んできたといわれています。
2015年11月
山を下り中腹のレストランでお昼を食べました。ミャンマーの漆器に料理を入れて幕の内弁当風です。
昼食後は、野を超え、丘を越え、60km離れたサーレに走りました。
街道の所々に水を入れた甕が置いてあり、誰でも飲めるそうです。(エジプトにもありました)
サーレのヨーソー僧院です。1882年創建、高床式の総チーク造りで、見事な彫刻が施されています。
彫刻は仏教の寓話を現しており、重油が塗られ、黒光りして、重厚なものとなっています。
続いてシンビンマハラバマン寺院を訪れました。洪水で流されてきた大仏が祀られています。
竹籠に漆塗りの大仏で、13世紀に造られ、1888年の洪水で流され、ここに到達したそうです。
下校する小学生です。ロンヂーを巻き、シャンバックを下げています。ピンクは子供の尼さんです。
また60kmバガンに戻ります。日は西に傾き、牛や羊も家路に向います。
チャイという街を通りました。石油で成り立っている街だそうです。
街道のすぐ傍にも油井が沢山現れました。石油が出るんです。
バガンに戻り、エーヤワティー川の夕日を見に行きました。
渡し舟で家路を急ぐ人たちも夕日を浴びています。
17:17 カラスが群舞する中、日が暮れました。ミャンマーのカラスは何とギャーギャーと鳴きます。
今日の夕食は屋外のレストランシアターで洋食です。牛肉、鶏肉、魚を選べます。
昨日よりは本格的な舞台です。くり人形です。
踊りです。昨日よりはましですが、どこか洗練されていません。
一番よかったのは、巨大な象のディスコダンスでした。
宴たけなわでしたが、20:10ホテルに戻りました。
昼食後は、野を超え、丘を越え、60km離れたサーレに走りました。
街道の所々に水を入れた甕が置いてあり、誰でも飲めるそうです。(エジプトにもありました)
サーレのヨーソー僧院です。1882年創建、高床式の総チーク造りで、見事な彫刻が施されています。
彫刻は仏教の寓話を現しており、重油が塗られ、黒光りして、重厚なものとなっています。
続いてシンビンマハラバマン寺院を訪れました。洪水で流されてきた大仏が祀られています。
竹籠に漆塗りの大仏で、13世紀に造られ、1888年の洪水で流され、ここに到達したそうです。
下校する小学生です。ロンヂーを巻き、シャンバックを下げています。ピンクは子供の尼さんです。
また60kmバガンに戻ります。日は西に傾き、牛や羊も家路に向います。
チャイという街を通りました。石油で成り立っている街だそうです。
街道のすぐ傍にも油井が沢山現れました。石油が出るんです。
バガンに戻り、エーヤワティー川の夕日を見に行きました。
渡し舟で家路を急ぐ人たちも夕日を浴びています。
17:17 カラスが群舞する中、日が暮れました。ミャンマーのカラスは何とギャーギャーと鳴きます。
今日の夕食は屋外のレストランシアターで洋食です。牛肉、鶏肉、魚を選べます。
昨日よりは本格的な舞台です。くり人形です。
踊りです。昨日よりはましですが、どこか洗練されていません。
一番よかったのは、巨大な象のディスコダンスでした。
宴たけなわでしたが、20:10ホテルに戻りました。
ホテルを4:45に出発し、真っ暗な中、空港に向かいました。朝食は弁当で、待合室で食べました。
5:36 ニャンウーに向います。飛行機は双発のターボプロップ、悪名高いATR-72でした。
6:10 飛行機の中で日の出を迎えました。地上より少し早いようです。
バガンの辺りには熱気球が沢山上っていました。1人400ドルだそうです。
7:00到着 1時間20分の飛行でした。古都バガンをイメージしたパガン・ニャンウー空港です。
はじめにニャウンウー市場に行きました。野菜、果物などのコーナーです。
肉、魚、衣類から日用雑貨まであらゆるものが売られています。魚は川魚で、ナマズも見られました。
次にシェスズィーゴォンパゴダを訪れました。1087年創建で、バガンを代表するパゴダです。
金箔が貼られ、金色に輝いています。セイロンから持ってきた仏歯が納めるられているそうです。
パゴダの密集地帯です。バガンには現在2000のパゴダが残っているそうです。
アーナンダ寺院です。1090年創建で、バガンを代表する寺院だそうです。
アーナンダ寺院に咲いていたスイレンです。
東西南北4面に仏が祀られています。創建当時のまま 現存する南面の迦葉仏です。
漆工房を訪れました。竹で台を作り、何回も漆を塗っていくようです。
販売もしていました。行く前に妻から注文が出ていたので、この漆器を買いました。
お昼はエーヤワディー川のほとりにあるレストラン「シートゥー」でいただきました。
中華料理ということです。マンダレーというビール(3500K=350円)を飲みました。
川には渡し船があり、大勢の人を乗せて行き来していました。
午前中の観光を終え、ホテルに向いました。
5:36 ニャンウーに向います。飛行機は双発のターボプロップ、悪名高いATR-72でした。
6:10 飛行機の中で日の出を迎えました。地上より少し早いようです。
バガンの辺りには熱気球が沢山上っていました。1人400ドルだそうです。
7:00到着 1時間20分の飛行でした。古都バガンをイメージしたパガン・ニャンウー空港です。
はじめにニャウンウー市場に行きました。野菜、果物などのコーナーです。
肉、魚、衣類から日用雑貨まであらゆるものが売られています。魚は川魚で、ナマズも見られました。
次にシェスズィーゴォンパゴダを訪れました。1087年創建で、バガンを代表するパゴダです。
金箔が貼られ、金色に輝いています。セイロンから持ってきた仏歯が納めるられているそうです。
パゴダの密集地帯です。バガンには現在2000のパゴダが残っているそうです。
アーナンダ寺院です。1090年創建で、バガンを代表する寺院だそうです。
アーナンダ寺院に咲いていたスイレンです。
東西南北4面に仏が祀られています。創建当時のまま 現存する南面の迦葉仏です。
漆工房を訪れました。竹で台を作り、何回も漆を塗っていくようです。
販売もしていました。行く前に妻から注文が出ていたので、この漆器を買いました。
お昼はエーヤワディー川のほとりにあるレストラン「シートゥー」でいただきました。
中華料理ということです。マンダレーというビール(3500K=350円)を飲みました。
川には渡し船があり、大勢の人を乗せて行き来していました。
午前中の観光を終え、ホテルに向いました。
12時半にホテルに入りました。午後の観光は3時からということで昼寝をすることができました。
午後一番はマヌーハ寺院です。戦いに敗れて捕虜になった異国の王が建てた寺だそうです。
仏様が狭い部屋に祀られています。幽閉された自分自身になぞられているようです。
寝仏です。これも窮屈な部屋に収められています。
次はタビィニュ寺院です。高さが65mあり、バガンで最も高い寺院だそうである。
1階の入口に鎮座している仏様です。
ダマヤンヂー寺院です。造っていた残酷な王が暗殺され、未完成のまま現在に至っています。
廃墟となった寺院にはコウモリが住みつき、夜になると幽霊が出るといわれています。
バガン遺跡の夕日を見にいきました。登る寺院はもう夕日に赤く染まっています。
牛車に乗って夕日を見に来る人もいます。登れる寺院は限られているので渋滞します。
夕日に映えるバガン遺跡のパゴダや寺院です。
17:20 バガン遺跡の向こうの雲の中に日が没しました。
日没に合すように牛たちが家路を急ぎます。
ヒツジも後に続きます。
今日の夕飯のレストラン「ウエルカム・ティピカル・フードハウス」です。
バガンの伝統芸能であるくり人形を見ながらミャンマー料理をいただきました。
踊りもありました。素人が踊るという素朴なものでした。
【壊れたPCのハードディスクを復元し、何とか写真を取り出しました。】
午後一番はマヌーハ寺院です。戦いに敗れて捕虜になった異国の王が建てた寺だそうです。
仏様が狭い部屋に祀られています。幽閉された自分自身になぞられているようです。
寝仏です。これも窮屈な部屋に収められています。
次はタビィニュ寺院です。高さが65mあり、バガンで最も高い寺院だそうである。
1階の入口に鎮座している仏様です。
ダマヤンヂー寺院です。造っていた残酷な王が暗殺され、未完成のまま現在に至っています。
廃墟となった寺院にはコウモリが住みつき、夜になると幽霊が出るといわれています。
バガン遺跡の夕日を見にいきました。登る寺院はもう夕日に赤く染まっています。
牛車に乗って夕日を見に来る人もいます。登れる寺院は限られているので渋滞します。
夕日に映えるバガン遺跡のパゴダや寺院です。
17:20 バガン遺跡の向こうの雲の中に日が没しました。
日没に合すように牛たちが家路を急ぎます。
ヒツジも後に続きます。
今日の夕飯のレストラン「ウエルカム・ティピカル・フードハウス」です。
バガンの伝統芸能であるくり人形を見ながらミャンマー料理をいただきました。
踊りもありました。素人が踊るという素朴なものでした。
【壊れたPCのハードディスクを復元し、何とか写真を取り出しました。】
JTB旅物語「神秘のミャンマー感動旅行6日間」に行ってきました。総勢24人で、1人で参加です。
ヤンゴンへの直行便:ANAのNH813便は、定刻の11:45に出発しました。すいていました。
天気は快晴、東京の上空を飛んだので、スカイツリー、新宿のビル群などがはっきりと見えました。
丹沢の山を超え、富士山が現れました。まだ雪が少なく、それほど麗しくありません。
名古屋、大阪を通って、四国の西端から南下を始めました。大阪の遠望です。
離陸後1時間余、13時過ぎに昼食が出ました。和食と洋食があり、洋食を選びました。
南西諸島に沿って南下しました。雲が出てきました。石垣島です。
台湾の南端をかすめ、ベトナムのダナンからインドシナ半島に入りました。メコン川です。
インドシナ半島を横断し、シッタウン川の河口を超えてヤンゴンに向かいます。
ヤンゴン郊外の街並です。すぐに金色に輝く、幾つかパゴダを見つけることができました。
現地時間16:30 ヤンゴンに到着。定刻より45分も早い、約7時間の飛行でした。
空港から夕食のレストランに向かいます。空港周辺の街並です。
レストランはヤンゴン市街の外れでしたが、それでも近づくとこの渋滞です。
17:30 本日の夕食のレストラン ロイヤルタジンに着きました。
夕食はミャンマー料理です。中華料理のようなものです。ビールは1本4000チャット(400円)でした。
19:40 ホテルヤンゴン着 ホテルは空港の方に少し戻った所でした。
カードキーが故障していたり、街の騒音がうるさかったり、いい印象ではありませんでした。
それでも到着してやれやれと思っていたら、明朝は4:45出発ということで、がっくりきました。
ヤンゴンへの直行便:ANAのNH813便は、定刻の11:45に出発しました。すいていました。
天気は快晴、東京の上空を飛んだので、スカイツリー、新宿のビル群などがはっきりと見えました。
丹沢の山を超え、富士山が現れました。まだ雪が少なく、それほど麗しくありません。
名古屋、大阪を通って、四国の西端から南下を始めました。大阪の遠望です。
離陸後1時間余、13時過ぎに昼食が出ました。和食と洋食があり、洋食を選びました。
南西諸島に沿って南下しました。雲が出てきました。石垣島です。
台湾の南端をかすめ、ベトナムのダナンからインドシナ半島に入りました。メコン川です。
インドシナ半島を横断し、シッタウン川の河口を超えてヤンゴンに向かいます。
ヤンゴン郊外の街並です。すぐに金色に輝く、幾つかパゴダを見つけることができました。
現地時間16:30 ヤンゴンに到着。定刻より45分も早い、約7時間の飛行でした。
空港から夕食のレストランに向かいます。空港周辺の街並です。
レストランはヤンゴン市街の外れでしたが、それでも近づくとこの渋滞です。
17:30 本日の夕食のレストラン ロイヤルタジンに着きました。
夕食はミャンマー料理です。中華料理のようなものです。ビールは1本4000チャット(400円)でした。
19:40 ホテルヤンゴン着 ホテルは空港の方に少し戻った所でした。
カードキーが故障していたり、街の騒音がうるさかったり、いい印象ではありませんでした。
それでも到着してやれやれと思っていたら、明朝は4:45出発ということで、がっくりきました。
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