2013年01月
トランクの重量制限23kgを皆クリアーして、定刻通り飛行機は夜明け前のリスボンを飛び立ちました。
3時間のフライトですが、乗って1時間で朝食がでました。弁当を食べていたのに食べてしまいました。
現地時刻11:40 フランクフルト到着です。行きには7時間の乗継でしたが、今度は2時間弱です。
十分と思われた乗継時間ですが、飛行場が広く、成田行のLH0710に乗り込むのが精一杯でした。
搭乗3時間、昼食(夕食)がでました。窓の外に以前見たオーロラを探しましたが、見えませんでした。
帰りの航路はかなり南寄りで、北京、韓国を経由して日本海に出ました。夜明け前のソウル付近です。
成田到着の1時間前、日本時間7:20に朝食がでました。
北陸を東上し、新潟付近で日の出を迎えました。
8:40定刻通り成田到着です。今回の夜間飛行、途切れ途切れでしたが、結構よく眠れました。
8日間のポルトガル旅行、二次募集の39名のツアーの皆さん、添乗員さん、お疲れさまでした。
べレンの塔です。テージョ川岸にあり、16世紀初頭に建てられた、リスボンに入る船の監視塔です。
べレンの塔の横に、1922年リオデジャネイロへの初飛行に成功した飛行機のモニュメントがあります。
大航海時代のポルトガルを記念するモニュメント。エンリケ航海王子を先頭に英雄達が並んでいます。
発見のモニュメントの広場には、地図にポルトガルが到達した年が示されています。日本は1541年
この向かい側にはジェロニモス修道院があります。すぐ傍なのに線路を迂回していきます。
ヴァスコ・ダ・ガマの石棺が収められています。
中央祭壇です。
中庭です。
次にアルファマ地区に行きました。ファド酒場などが並ぶ旧市街です。
お昼は名物カルドベルデ(緑のスープ)とボイルイカをいただきました。
午後から、川向うのクリスト・レイ像を見に行きました。リオのキリスト像に触発されたものだそうです。
クリスト・レイ像の上からのテージョ川4月25日橋です。
続いて19世紀に建てられた世界遺産シントラ・ペーナ宮殿を見に行きました。
1775年の地震によって廃墟となった修道院を建てなおしたものだそうです。
内部は撮影禁止でした。ドイツのシュタイン城と似ています。上に上っていくと、
街のかなたに大西洋が見え、
ムーアの城壁もみえました。
夜は、ポルトガル最後の晩餐で、
肉料理をいただきました。
食後、飲み足りない人達と、ホテルのバーでワインを飲み交わし、ポルトガルの名残を惜しみました。
海岸を見渡せる食堂で朝食をとり、朝の砂浜を散歩し、8:45に出発しました。
コルクを剥いだコルクガシです。数字はコルクを剥いだ年で、次の剥ぐ時期は9年後だそうです。
9:30 29km離れたカルダス・ダ・ライーニャに到着。王妃の湯治場という意味の温泉地だそうです。
朝市を見学し、皆てんでんに、チーズ、ドライフルーツ、豆などを買っていました。
10:30 さらに30km離れたオビドスに到着。高さ13mの中世の城壁に囲まれた石畳の街です。
石畳の道の両側にはみやげ物屋が並んでいます。
ポルトガルのシンボル「バルセロスの雄鶏」の絵皿がありましたが、写真を撮るだけに止めました。
お昼は、名物の豚とアサリの炒めものでした。500mlのデカンタのワインがとてもおいしかったです。
城壁にアロエの花が咲いていました。ポルトガルは予想以上に暖かいです。
野を超え、山を越え、今度は132km離れた、ヨーロッパ最西端のロカ岬に向かいました。
ロカ岬には、「ここに地果て、海始まる」の記念碑と赤い灯台があります。
ロカ(岩)岬は文字通り、断崖絶壁の岩の上にあり、荒波が打ち寄せていました。
海岸線を走ります。雨の予報だったのに我々の行く所だけ晴れていて、ついています。
42km走り15:00 カスカイスに到着。「地獄の口」を覗きこみました。海が荒れていて見応えがありました。
16:00 リスボンに向け出発です。
16:30 今日のホテル マリオットリスボンに到着
夕食はSimphonyaというレストランでタコのリゾットをいただきました。飲食に忙しく写真を忘れました。
オプションのファドショーには行かず早めに寝ました。
ポルトを8時に出発し、朝日のさす野山を越えて、南に116kmのコインブラに向かいます。
9:30モンデゴ川の両岸に広がるコインブラに到着しました。まず、サンタクララ修道院を訪れました。
修道院には、慈悲深い王妃 聖イサベルの棺が安置されています。イサベルの像もありました。
サンタクララ橋の向こうには、1290年に創設されたコインブラ大学が山の上に建っています。
ヨーロッパでも最も古い大学のひとつだそうです。頂上までバスで上り、「鉄の門」をくぐると、
大学の旧校舎、時計塔、図書館などがある広場にでます。黒いマントを羽織った学生も見かけました。
坂を下りてくると、大学の建物の中に、旧大聖堂などもあります。
ふもとのカフェで、おいしいエッグタルトとコーヒーをいただきました。
コインブラを後に85km離れたファティマに行きました。1917年に聖母マリアが出現したという聖地です。
まず、修道院で昼食です。
ビーフでしたが、山盛りの野菜サラダ、テーブルに1本ワインがついていたことがうれしかったです。
この子供たちの前に聖母マリアが現れ、予言などをしたという。ローマ教皇庁が奇跡と認めています。
1928年に建てられたファティマの大聖堂です。奇跡のおきた5月17日には信者で埋まるといいます。
近くの森は苔むす木で覆われていました。
さらに65km離れたナザレに向かいました。ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会です。
旧市街は標高110mの高台にあり、美しいナザレの海岸を一望できます。
絵のように美しい海辺として、夏は大勢の人で賑わうと言います。夕食を食べたレストランです。
夕食はイワシのグリルでした。日本のイワシとはちょっと違うようでしたが、イワシはイワシでした。
口直しにブイヤベースを食べにいきました。エビや貝、ハタが入り、ワイン共々おいしくいただきました。
今日のホテルはマーレ(海)です。
ナザレの海岸を撮っていて、カメラの故障を確信し、妻のカメラに切り替えることにしました。
朝8時、夜明けと共にスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに出発です。約230kmの行程です。
霧が出て、峠では前が見えない程でした。ポルトガルは暖かく、寒い日本に帰るのが嫌になりました。
800kmの道を歩いて来た巡礼が、サンティアゴ大聖堂を遠望し、歓声をあげたという丘に登りました。
歓喜の丘からの大聖堂です。望遠レンズを使いました。肉眼ではかろうじて見える程度です。
お参りする前に昼食です。豚カツでした。有名なケーキ「タルタ・デ・サンティアゴ」もいただきました。
アラメダ公園のフェラドゥーラ遊歩道を歩いて、大聖堂に向かいました。
昔は城壁に囲まれ、7つの門があったそうですが、今はなく、たった1つ残っている巡礼路の門です。
キンターナ広場にある「免罪の門」、門が開くのは聖ヤコブの日が日曜日になる時だけだそうです。
大聖堂Catedralです。9世紀に聖ヤコブの墓が発見され、キリスト教三大聖地のひとつとなりました。
中央に聖ヤコブの像が掲げられた栄光の門(補修中です)
絢爛豪華な中央祭壇です。
オブラドイロ広場で大聖堂に対峙する市庁舎です。
右には旧王立病院、現在は5つ星のパラドール(ホテル)になっています。
白く輝くのは、大聖堂に付属する時計塔です。
大聖堂の見学を終え、また230km、一路ポルトガルのポルトに戻ります。
今晩の夕食はタコのリゾットとタラのフライでした。
写真が完全にボケていますが、迂闊にも、この時はカメラが壊れているとは思いませんでした。
泊ったホテルの朝の姿です。起床6時、朝食7時、8:40出発です。今日はポルトまで行きます。
北東145kmのトマールに行き、12世紀にテンプル騎士団が創ったキリスト教修道院を見学しました。
世界文化遺産です。鐘楼を持つ円堂です。修道院というより城塞のようです。
アラブ風のアーチの回廊があり、タイル(アズレージョ)が貼ってあるのもアラブ風です。
礼拝堂の中央祭壇です。
ジョアン3世の回廊です。
屋上テラスから見たマヌエル様式の建物、初めて見るポルトガルの世界遺産は中々のものでした。
今見てきたキリスト教修道院を見上げるレストランで昼食です。
昼食はポルトガル名物のバカリャウでした。塩漬け干ダラを戻し、千切りジャガイモと卵でとじています。
昼食後200km北上し、ポルトガルの語源となったポルトに行きました。サンフランシスコ教会です。
ポルトと言えばポートワイン、サンデマンの酒蔵を見学し、ポートワインを購入しました。
ドロウ川上流で作られたワインはこのような舟でポルトまで運ばれ、ポートワインにされたという。
ドロウ川には、1886年エッフェルの弟子によって作られたドン・ルイス1世橋がかかっています。
サン・ベント駅構内のアズレージョ(タイル)画。4つの壁面は大きなタイル画で埋まっています。
今夜のホテルHFトゥエラポルト 18時に到着
夕食はホテルでバイキング
旅行中、カメラが壊れてしまいまいた。ピントが合わなくなったのですが、既に兆候が現れています。
Kazu