2009年07月
パリの街の様子をもう少し紹介します。
ジャンヌダルク像です。金ぴかになっていました。
アンヴァリッド(廃兵院)の屋根もそこに至る像も金ぴかです。
オベリスクの頂部にも
公園の池の周りで人々が憩っています。
観光用の自転車も用意されているようです。
ユニクロがパリに進出しようとしています。
月曜休館でまた行きそこなったオルセー美術館です。
コンコルド広場からのエッフェル搭です。
登るのに2時間待ちだったとか
ノートルダム寺院も大変な混雑だったようです。
飛行場に行くと飛ばなくなったコンコルドが飾ってありました。
パリはやはり花の都でした。
ヨーロッパ旅行記は7/12~21に記載してあります。
ジャンヌダルク像です。金ぴかになっていました。
アンヴァリッド(廃兵院)の屋根もそこに至る像も金ぴかです。
オベリスクの頂部にも
観光用の自転車も用意されているようです。
ユニクロがパリに進出しようとしています。
月曜休館でまた行きそこなったオルセー美術館です。
コンコルド広場からのエッフェル搭です。
登るのに2時間待ちだったとか
ノートルダム寺院も大変な混雑だったようです。
飛行場に行くと飛ばなくなったコンコルドが飾ってありました。
パリはやはり花の都でした。
ヨーロッパ旅行記は7/12~21に記載してあります。
機内食にビビンバが出ました。結構美味しかったです。
疲れていたので良く眠れました。15:10インチョン到着です。
乗継時間が3時間40分もあります。空港内を見物しました。
上の階には伝統工芸ギャラリーがあり、
見事な青磁の壷が飾ってありました。
韓国の伝統文化体験センターもあり、
伝統的な靴下の形の携帯ストラップを作らせてもらいました。
もう一つ体験コーナーがあり、伝統工芸ギャラリーにいた
女性と再会し、拓本取りに挑戦しました。
土産物屋で、キムチとサムゲタンを買いました。
食堂のサンプルです。さすが飛行場で、値段の他、出来上る時間が表示してありました。
OZ108便は18:50離陸し、21:00成田に到着しました。雨でした。電車が少なくなっていて、家に着いたのは12時近くでした。
今回のお土産です。妻と一緒の時の1/3以下です。
35人という大人数なのでどうなるかと思いましたが、明るく元気な添乗員さんの下、遅滞なくハードなスケジュールをこなし、好天にも恵まれ、ヨーロッパ4大絶景10日間を満喫しました。細かな気配りもしてくれた添乗員さん、ありがとうございました。一緒に旅行した皆さん、お疲れ様でした。
疲れていたので良く眠れました。15:10インチョン到着です。
乗継時間が3時間40分もあります。空港内を見物しました。
上の階には伝統工芸ギャラリーがあり、
見事な青磁の壷が飾ってありました。
韓国の伝統文化体験センターもあり、
伝統的な靴下の形の携帯ストラップを作らせてもらいました。
もう一つ体験コーナーがあり、伝統工芸ギャラリーにいた
女性と再会し、拓本取りに挑戦しました。
土産物屋で、キムチとサムゲタンを買いました。
食堂のサンプルです。さすが飛行場で、値段の他、出来上る時間が表示してありました。
OZ108便は18:50離陸し、21:00成田に到着しました。雨でした。電車が少なくなっていて、家に着いたのは12時近くでした。
今回のお土産です。妻と一緒の時の1/3以下です。
35人という大人数なのでどうなるかと思いましたが、明るく元気な添乗員さんの下、遅滞なくハードなスケジュールをこなし、好天にも恵まれ、ヨーロッパ4大絶景10日間を満喫しました。細かな気配りもしてくれた添乗員さん、ありがとうございました。一緒に旅行した皆さん、お疲れ様でした。
今日も夜の出発まで自由です。OPのルーブル美術館には行かず、マイバスでフォンテーヌブローに行ってきました。
パリの南東60km、バスで1時間、看板が見えてきました。
初めにバルビゾンに行きました。ミレーなど「バルビゾン派」の画家達が住んだ村です。
ミレーの「晩鐘」を鳴らした教会だそうです。
ミレーの家です。有料の記念館になっています。
近くにあるホテルです。天皇陛下や各国首脳が泊るそうです。
フォンテーヌブロー城の正門です。王の離宮だったようです。
中世のカペー王朝からナポレオン3世まで使われたそうです。
内部を見学しました。写真OKです。ステンドグラスです。
タペストリーです。フラッシュは禁止です。
回廊のフレスコ画です。
チャペル?では器楽の練習が行われていました。
この他沢山の部屋がありました。大きさではヴェルサイユ宮殿に及びませんが中々のものでした。13時パリに戻り、カフェテラスで昼食後、散策しながらオランジェリー美術館に行きました。
モネの家で見れなかった「睡蓮」が何枚もありました。
オランジェリー美術館はノーフラッシュなら写真撮影OKだったので、他の絵については番外編で紹介します。
この後、目の前のコンコルド広場に行きました。
パリ祭のためか女神像の顔に赤い布が付けられていました。
くたびれてスーパーを覗くのを忘れてホテルに戻ってしまいました。ホテルを午後5時に出発して、ドゴール空港に向いました。21:10アシアナ航空OZ502で帰国の途につきました。
9年振りのパリはきれいになっていました。磨きがかかった感じです。金の塗装がもう少し落ち着けばもっと良くなるでしょう。
パリの南東60km、バスで1時間、看板が見えてきました。
初めにバルビゾンに行きました。ミレーなど「バルビゾン派」の画家達が住んだ村です。
ミレーの「晩鐘」を鳴らした教会だそうです。
ミレーの家です。有料の記念館になっています。
近くにあるホテルです。天皇陛下や各国首脳が泊るそうです。
フォンテーヌブロー城の正門です。王の離宮だったようです。
中世のカペー王朝からナポレオン3世まで使われたそうです。
内部を見学しました。写真OKです。ステンドグラスです。
タペストリーです。フラッシュは禁止です。
回廊のフレスコ画です。
チャペル?では器楽の練習が行われていました。
この他沢山の部屋がありました。大きさではヴェルサイユ宮殿に及びませんが中々のものでした。13時パリに戻り、カフェテラスで昼食後、散策しながらオランジェリー美術館に行きました。
モネの家で見れなかった「睡蓮」が何枚もありました。
オランジェリー美術館はノーフラッシュなら写真撮影OKだったので、他の絵については番外編で紹介します。
この後、目の前のコンコルド広場に行きました。
パリ祭のためか女神像の顔に赤い布が付けられていました。
くたびれてスーパーを覗くのを忘れてホテルに戻ってしまいました。ホテルを午後5時に出発して、ドゴール空港に向いました。21:10アシアナ航空OZ502で帰国の途につきました。
9年振りのパリはきれいになっていました。磨きがかかった感じです。金の塗装がもう少し落ち着けばもっと良くなるでしょう。
パリは4回目ですが、9年振りです。午前中はパリ車窓観光で、午後は自由行動です。OPのベルサイユ宮殿はパスし、モネの家に行ってきました。
朝の出発は10時でした。初めにエッフェル塔に行きました。
パリ祭の名残があるシャンゼリゼ通りです。
コンコルド広場を1周しました。
ルーブル美術館です。ピラミッドの違和感が薄れていました。
オペラ座です。前に来た時は補修中でネットを被っていました。
モンマルトルで昼食を食べました。豚肉料理でした。
モンマルトルのサクレクール寺院です。やはり美しいです。
午後から自由だったので、マイバスでモネの家に行きました。
パリの北西70kmのジヴェルニーに向います。
モネの家です。中には沢山の浮世絵がありました。撮影禁止
庭には沢山の花が咲いていました。
モネといえば睡蓮です。
睡蓮の咲く池がありました。
モネの絵はなく、売店にレプリカが飾ってありました。
夕飯でツアーに合流、エスカルゴでした。
モネの家、がっかりして帰ってきたのですが、写真を見るとそんなに悪くありません。期待が大き過ぎたのか、つまらなそうに話すガイドのせいだったのでしょうか。
朝の出発は10時でした。初めにエッフェル塔に行きました。
パリ祭の名残があるシャンゼリゼ通りです。
コンコルド広場を1周しました。
ルーブル美術館です。ピラミッドの違和感が薄れていました。
オペラ座です。前に来た時は補修中でネットを被っていました。
モンマルトルで昼食を食べました。豚肉料理でした。
モンマルトルのサクレクール寺院です。やはり美しいです。
午後から自由だったので、マイバスでモネの家に行きました。
パリの北西70kmのジヴェルニーに向います。
モネの家です。中には沢山の浮世絵がありました。撮影禁止
庭には沢山の花が咲いていました。
モネといえば睡蓮です。
睡蓮の咲く池がありました。
モネの絵はなく、売店にレプリカが飾ってありました。
夕飯でツアーに合流、エスカルゴでした。
モネの家、がっかりして帰ってきたのですが、写真を見るとそんなに悪くありません。期待が大き過ぎたのか、つまらなそうに話すガイドのせいだったのでしょうか。
パリでのホテルIbis Alesiaです。地下鉄Alesia駅の近くです。
今日は世界遺産モンサンミッシェルに行きます。7:30出発です
パリの西350km 5時間で行きます。看板が出てきました。
遠くにモンサンミッシェルが見えてきました。
「聖堂を立てよ」という大天使ミカエルのお告げを聞いたオベール司教がいたアヴランシュの街です。
見学前に名物のオムレツとリンゴ酒をいただきました。
いよいよモンサンミッシェルの見学です。
跳ね橋を通り入場です。修道院というよりお城のようです。
近くの島から運んだ花崗岩で造られています。
島の岩の上に造られた証です。
大天使ミカエルです。死後、天国行か地獄行かを判定します。
瞑想の回廊です。イスラムの影響があるように思えます。
ミカエルが夢のお告げを信じない司教の頭に穴を開けたシーンです。ミカエルの顔はフランス革命の時に削られたそうです。
陸続きになった島。今後、島への道路を撤去するそうです。
5時間かけてパリに戻り、21時夕食です。劇場の近くのレストランで、食べにきた役者の写真やサインが掲げてありました。
往復700km、13時間余の強行軍でしたが、それだけのことはありました。途中のドライヴインでは女性のトイレが足らず、男で良かったと感じた1日でもありました。
今日は世界遺産モンサンミッシェルに行きます。7:30出発です
パリの西350km 5時間で行きます。看板が出てきました。
遠くにモンサンミッシェルが見えてきました。
「聖堂を立てよ」という大天使ミカエルのお告げを聞いたオベール司教がいたアヴランシュの街です。
見学前に名物のオムレツとリンゴ酒をいただきました。
いよいよモンサンミッシェルの見学です。
跳ね橋を通り入場です。修道院というよりお城のようです。
近くの島から運んだ花崗岩で造られています。
島の岩の上に造られた証です。
大天使ミカエルです。死後、天国行か地獄行かを判定します。
瞑想の回廊です。イスラムの影響があるように思えます。
ミカエルが夢のお告げを信じない司教の頭に穴を開けたシーンです。ミカエルの顔はフランス革命の時に削られたそうです。
陸続きになった島。今後、島への道路を撤去するそうです。
5時間かけてパリに戻り、21時夕食です。劇場の近くのレストランで、食べにきた役者の写真やサインが掲げてありました。
往復700km、13時間余の強行軍でしたが、それだけのことはありました。途中のドライヴインでは女性のトイレが足らず、男で良かったと感じた1日でもありました。
今日はシャモニーに行き、標高3842mにあるエギーユドミディ展望台に登ってヨーロッパ最高峰4810mのモンブランを見た後、ジュネーブに戻り、TGVでパリに向います。
9:45ホテルを出発し、86km先のシャモニーに向いました。
シャモニーに近付くとエギーユドミディ展望台が見えました。
悪天候のため停まっていたロープウェイが動き出しました。
ロープウェイを乗継ぎ、エギーユドミディ展望台を目指します。
さらにエレベータに乗り、標高3842mの展望台に登りました。
イタリア側へのロープウェイが向っているエルブロンネピークに日が当っています。
左側にシャモニー針峰群です。グランドジョラスはこの右奥です。
モンブランです。お昼のサンドイッチも展望台で食べ、モンブランの頂上が見えるのを待ちましたが、頂上はあと少しでした。
ロープウェイに乗り、シャモニーの街に下りてきました。
バルマ広場にはモンブランの初登頂に成功した山師バルマと賞金を出したソシュールの像がありました。
15:30シャモニーを発ち16:50ジュネーブ レマン湖に着きました。
大噴水は上っていませんでした。イギリス公園の花時計です。
寸暇を惜しんでサンピエール大聖堂にも行ってきました。
ジュネーブ コルナヴァン駅です。
19:17発のTGVでパリに向います。パリ着22:49でした。
ジュネーブ-パリ間555kmを3時間半ですから平均速度は159km/hです。のぞみは東京-大阪間553kmを2時間40分ですから平均速度は213km/hで、運行速度では新幹線の方が断然速いことが分りました。
9:45ホテルを出発し、86km先のシャモニーに向いました。
シャモニーに近付くとエギーユドミディ展望台が見えました。
悪天候のため停まっていたロープウェイが動き出しました。
ロープウェイを乗継ぎ、エギーユドミディ展望台を目指します。
さらにエレベータに乗り、標高3842mの展望台に登りました。
イタリア側へのロープウェイが向っているエルブロンネピークに日が当っています。
左側にシャモニー針峰群です。グランドジョラスはこの右奥です。
モンブランです。お昼のサンドイッチも展望台で食べ、モンブランの頂上が見えるのを待ちましたが、頂上はあと少しでした。
ロープウェイに乗り、シャモニーの街に下りてきました。
バルマ広場にはモンブランの初登頂に成功した山師バルマと賞金を出したソシュールの像がありました。
15:30シャモニーを発ち16:50ジュネーブ レマン湖に着きました。
大噴水は上っていませんでした。イギリス公園の花時計です。
寸暇を惜しんでサンピエール大聖堂にも行ってきました。
ジュネーブ コルナヴァン駅です。
19:17発のTGVでパリに向います。パリ着22:49でした。
今日はスイス1のアルプス展望台ゴルナーグラートに登り、山を眺めた後、少しハイキングをします。そして明日のため、ジュネーブ近郊のトアリー(フランス)に入ります。
小学生の時ウィンパーの「アルプス登攀記」を読んで感銘を受けたので、ツェルマットとマッターホルンは特別なものです。
ツェルマットの日の出は5:49、5時には起き、日の出を待ちました。快晴だったのですが、頂上に朝日が当った時は雲が発生してしまいました。20分位経つと、雲は消え、山全体がモルゲンロートに染まりました。
直ぐに街に出かけました。駅前からバーンホフ通りをたどると、マッターホルン登攀の様子を望遠鏡で見たという教会があり、
その前にはウィンパーが初登攀に出かけたというホテルモンテローザがあり、レリーフが飾られています。初登攀は1865年=144年前の7月14日=2日前のことだそうです。
近くのマッターフィスバ川の橋の上からのマッターホルンです。
8:30ホテルを出発し、登山電車で展望台に向いました。
約30分でゴルナーグラート展望台(3130m)に到着です。
左端に見える アルプス第2の高峰モンテローザ(4634m)です。
グレンツ氷河を挟み、右にリスカム(4527m)があり、
さらにブライトホルン(4165m)と続きます。
そしてずっと右にマッターホルン(4478m)がそびえています。
登山電車で1駅下り、アルプスのハイキングです。
高山植物も咲いています。
広大な景色の中でおにぎりを食べ、次の駅まで歩きました。
ツェルマットを後にジュネーブに向かいました。レマン湖です。
17:20 今日は比較的早くホテルに到着しました。
1年に5日もないという好天に恵まれアルプスを満喫した1日でした。夕食前に風呂に入り、ビールを飲み、心身ともに爽快です。夕食はポークソテーでした。
小学生の時ウィンパーの「アルプス登攀記」を読んで感銘を受けたので、ツェルマットとマッターホルンは特別なものです。
ツェルマットの日の出は5:49、5時には起き、日の出を待ちました。快晴だったのですが、頂上に朝日が当った時は雲が発生してしまいました。20分位経つと、雲は消え、山全体がモルゲンロートに染まりました。
直ぐに街に出かけました。駅前からバーンホフ通りをたどると、マッターホルン登攀の様子を望遠鏡で見たという教会があり、
その前にはウィンパーが初登攀に出かけたというホテルモンテローザがあり、レリーフが飾られています。初登攀は1865年=144年前の7月14日=2日前のことだそうです。
近くのマッターフィスバ川の橋の上からのマッターホルンです。
8:30ホテルを出発し、登山電車で展望台に向いました。
約30分でゴルナーグラート展望台(3130m)に到着です。
左端に見える アルプス第2の高峰モンテローザ(4634m)です。
グレンツ氷河を挟み、右にリスカム(4527m)があり、
さらにブライトホルン(4165m)と続きます。
そしてずっと右にマッターホルン(4478m)がそびえています。
登山電車で1駅下り、アルプスのハイキングです。
高山植物も咲いています。
広大な景色の中でおにぎりを食べ、次の駅まで歩きました。
ツェルマットを後にジュネーブに向かいました。レマン湖です。
17:20 今日は比較的早くホテルに到着しました。
1年に5日もないという好天に恵まれアルプスを満喫した1日でした。夕食前に風呂に入り、ビールを飲み、心身ともに爽快です。夕食はポークソテーでした。
今日は標高3571mのユングフラウヨッホに上り、中央アルプスの山々を堪能した後、ツエルマットに移動です。
小雨の降る中、ユングフラウ鉄道のグリンデルワルト駅に行きました。8:47発の登山鉄道に乗ります。
クライネシャイデックで列車を乗換え、
さらに上に登っていきます。アプト式の電車です。
右側にメンヒからの氷河が見えてきました。
アイガー山内のトンネルに入り、初めのアイガーヴァント駅では霧で何も見えませんでした。2番目のアイスメーア駅では間近に氷河が見え、歓声が上りました。
ユングフラウヨッホに到着しました。郵便局があり、留守番の妻に絵葉書を出しました。1.8CHFで5日で着きました。
展望台に出るとメンヒが眼前にそびえ立っていました。
氷河の中の通廊を行くと、氷像のギャラリーもありました。
雪原に出ました。ガスが晴れたり、出たりしています。
ユングフラウが少し姿を現しましたが写真を撮り損ねました。
クライネシャイデックに下り、アイガー北壁を眺めながら昼食のサンドィッチを食べました。
朝は小雨が降っており、山も霧に包まれていましたが、行く所ゝで霧が一瞬晴れ、何とか景色を見ることができました。
この後、グリンデルワルトに戻り、インターラーケンに寄った後、峠を越えてツェルマットに向いました。ダムがありました。
ツェルマットへはバスが入れず、電車に乗換えて行きます。
午後7時半今日のホテル クリスティニアに到着しました。
夕日に映えるマッターホルンが迎えてくれました。
ホテルのテラスからマッターホルンが見え、かかった雲が取れていく様子を、時が経つのを忘れ、眺めていました。
小雨の降る中、ユングフラウ鉄道のグリンデルワルト駅に行きました。8:47発の登山鉄道に乗ります。
クライネシャイデックで列車を乗換え、
さらに上に登っていきます。アプト式の電車です。
右側にメンヒからの氷河が見えてきました。
アイガー山内のトンネルに入り、初めのアイガーヴァント駅では霧で何も見えませんでした。2番目のアイスメーア駅では間近に氷河が見え、歓声が上りました。
ユングフラウヨッホに到着しました。郵便局があり、留守番の妻に絵葉書を出しました。1.8CHFで5日で着きました。
展望台に出るとメンヒが眼前にそびえ立っていました。
氷河の中の通廊を行くと、氷像のギャラリーもありました。
雪原に出ました。ガスが晴れたり、出たりしています。
ユングフラウが少し姿を現しましたが写真を撮り損ねました。
クライネシャイデックに下り、アイガー北壁を眺めながら昼食のサンドィッチを食べました。
朝は小雨が降っており、山も霧に包まれていましたが、行く所ゝで霧が一瞬晴れ、何とか景色を見ることができました。
この後、グリンデルワルトに戻り、インターラーケンに寄った後、峠を越えてツェルマットに向いました。ダムがありました。
ツェルマットへはバスが入れず、電車に乗換えて行きます。
午後7時半今日のホテル クリスティニアに到着しました。
夕日に映えるマッターホルンが迎えてくれました。
ホテルのテラスからマッターホルンが見え、かかった雲が取れていく様子を、時が経つのを忘れ、眺めていました。
今日はノイシュバンシュタイン城とヴィース教会を見物後、スイスに入ります。麓のホーエンシュヴァンガウの村から見たノイシュバンシュタイン城です。
馬車に乗って行く人もいますが、我々はバスで上りました。
有名なマリエン橋からの眺めです。補修のためネットが張られていますが目立たないようにされています。
内部の見学をしました。撮影禁止でした。築城は意外と遅く、明治時代とのことです。
下にホーエンシュヴァンガウの村と城、アルプ湖が見えます。
下りてきて麓の村から見たホーエンシュヴァンガウ城です。
次に世界遺産のヴィース教会を訪れました。
涙を流したという奇跡のキリスト像が安置されています。
フォルッゲン湖畔のレストランで昼食です。
今日は各種ソーセージです。ビールは黄色をいただきました。
これでドイツの観光を終え、スイスに向います。経路がよく分らないのですが、オーストリアを経由し、今日の宿泊地グリンデルワルトに行きます。7kmものトンネルを抜けたり、湖のそばを通ったりして、インターラーケンを過ぎるとスイス中央アルプスの山々が見えてきました。メンヒ(4009m)です。
ホテルの正面にそそり立つ、有名なアイガー(3970m)です。
左端に見えるウェッターホルン(3701m)です。
午後8時過ぎ今晩の宿ユングフラウロッジに到着しました。
夕食はローストチキンで、美味しい白ワインをいただきました。
明日の山行を控え、そびえ立つアルプスの山に興奮しました。
馬車に乗って行く人もいますが、我々はバスで上りました。
有名なマリエン橋からの眺めです。補修のためネットが張られていますが目立たないようにされています。
内部の見学をしました。撮影禁止でした。築城は意外と遅く、明治時代とのことです。
下にホーエンシュヴァンガウの村と城、アルプ湖が見えます。
下りてきて麓の村から見たホーエンシュヴァンガウ城です。
次に世界遺産のヴィース教会を訪れました。
涙を流したという奇跡のキリスト像が安置されています。
フォルッゲン湖畔のレストランで昼食です。
今日は各種ソーセージです。ビールは黄色をいただきました。
これでドイツの観光を終え、スイスに向います。経路がよく分らないのですが、オーストリアを経由し、今日の宿泊地グリンデルワルトに行きます。7kmものトンネルを抜けたり、湖のそばを通ったりして、インターラーケンを過ぎるとスイス中央アルプスの山々が見えてきました。メンヒ(4009m)です。
ホテルの正面にそそり立つ、有名なアイガー(3970m)です。
左端に見えるウェッターホルン(3701m)です。
午後8時過ぎ今晩の宿ユングフラウロッジに到着しました。
夕食はローストチキンで、美味しい白ワインをいただきました。
明日の山行を控え、そびえ立つアルプスの山に興奮しました。
いよいよ旅行の始まりです。今日はハイデルベルク、ローテンブルクを観光し、ロマンチック街道を通ってフュッセンまで行きます。ジュネーブまでバスを運転してくれる女性ドライバーと添乗員さんです。
初めに丘の上に建つハイデルベルグ城に行きました。この城は13世紀から築城・増築された後、30年戦争などで破壊され、一部が再建され、現在も修復が行われています。
中庭です。地下には世界最大級のワイン樽があり、試飲コーナーもありましたが、朝早すぎて閉っていました。
お城からのカールテオドール橋と旧市街の眺望です。
城を下り、カールテオドール橋に行き、旧市街を見物しました。
ネッカー川を遡り東へ170kmのローテンブルクに向かいます。
途中でミートローフの昼食です。白、黄、黒と3種類あるビールの内、飲んだことのない白ビールを飲みました。マイルドです。
古城街道を通り、中世の面影を完璧に残しているローテンブルクに着きました。街の中心マルクト広場に建つ市庁舎です。
馬車に乗って街を遊覧する人もいます。
市議宴会館です。街を救った 市長の「ワインの一気飲み」を再現するカラクリ時計は、時間が合わず見ることはできませんでした。
ローテンブルクからロマンチック街道を250km南下します。日本人が沢山来るので、標識には日本語も併記してあります。
ディケルスビュール、ネルトリンゲン、ハルブルクなどの街を通り、ドナウ川を渡り、アウクスブルクを超えていきます。ディケルスビュールの聖ゲオルク教会です。
フュッセンに近付くと、山の麓に白亜のノイシュヴァンシュタイン城が遠望できました。
午後8時ユーロパークホテルに到着です。
夕食は魚料理でした。ホテルの社長が席に挨拶にきました。彼は大変な親日家で、阪神淡路大震災の孤児の足長おじさんもしているそうです。名物のカレーライスも供されました。
ローテンブルクの観光時間を延長してくれ、中世のドイツを満喫した1日でした。ホテルも昨日より良くなり、明日の旅路が楽しみです。
初めに丘の上に建つハイデルベルグ城に行きました。この城は13世紀から築城・増築された後、30年戦争などで破壊され、一部が再建され、現在も修復が行われています。
中庭です。地下には世界最大級のワイン樽があり、試飲コーナーもありましたが、朝早すぎて閉っていました。
お城からのカールテオドール橋と旧市街の眺望です。
城を下り、カールテオドール橋に行き、旧市街を見物しました。
ネッカー川を遡り東へ170kmのローテンブルクに向かいます。
途中でミートローフの昼食です。白、黄、黒と3種類あるビールの内、飲んだことのない白ビールを飲みました。マイルドです。
古城街道を通り、中世の面影を完璧に残しているローテンブルクに着きました。街の中心マルクト広場に建つ市庁舎です。
馬車に乗って街を遊覧する人もいます。
市議宴会館です。街を救った 市長の「ワインの一気飲み」を再現するカラクリ時計は、時間が合わず見ることはできませんでした。
ローテンブルクからロマンチック街道を250km南下します。日本人が沢山来るので、標識には日本語も併記してあります。
ディケルスビュール、ネルトリンゲン、ハルブルクなどの街を通り、ドナウ川を渡り、アウクスブルクを超えていきます。ディケルスビュールの聖ゲオルク教会です。
フュッセンに近付くと、山の麓に白亜のノイシュヴァンシュタイン城が遠望できました。
午後8時ユーロパークホテルに到着です。
夕食は魚料理でした。ホテルの社長が席に挨拶にきました。彼は大変な親日家で、阪神淡路大震災の孤児の足長おじさんもしているそうです。名物のカレーライスも供されました。
ローテンブルクの観光時間を延長してくれ、中世のドイツを満喫した1日でした。ホテルも昨日より良くなり、明日の旅路が楽しみです。
阪急交通社のヨーロッパ4大絶景10日間に行ってきました。トラピックス20周年の記念企画で、この時期で全食事付20万円と超格安です。3月20日午前11時の受付開始と同時に電話を必死にかけて予約しました。当初39人、実際の参加は35人の大団体です。添乗員さんは1人です。今回、妻は仕事が忙しく1人での参加です。
集合が朝7時だったので、成田に前泊しました。航空会社はアシアナ航空で、まずインチョン(仁川)に向います。3番機です。
アシアナ航空は韓国のANAだそうで、2009年満足度第3位にランクされているようです。OZ107は定刻の9時にスポットを離れ9:25離陸しました。
2時間ほどでインチョンに到着しました。雨でした。乗継時間は1時間と短かったのですが、旅行中に飲むスコッチを購入でき無事フランクフルト行きのOZ541に乗り込むことができました。離陸は12:30でした。
機内は満席で、隣はドイツ旅行に行く韓国人2人組でした。レンターカーを借りてフランクフルトからベルリンに行くそうです。
離陸から1時間半、昼食が出ました。プルコギを選びました。
今日は雲で下は見えませんでしたが、最近は昼間の飛行でも窓を閉めさせます。昼寝の後、ウラル山脈の辺りから下が見え始めました。7時間が経っていました。
ロシアのサントペテルブルグ付近の湖沼の上を飛び、夕食が出ました。飛行9時間=着陸2時間前です。
バルト海を通り過ぎ、フランクフルト郊外の街が見えました。
定刻より少し早く16:50フランクフルトに到着しました。日本との時差はサマータイムなので7時間です。飛行時間は11時間20分でした。入国書類は必要ありません。
荷物の出てくるのが少し遅れ、1時間後にバスで出発です。
ブドウ畑の広がる道を今晩の宿泊地に向かいます。
宿はフランクフルトの南80kmのルードヴィヒスハーフェンです。
ホテルはエクセルシオールです。エアコンも冷蔵庫もない簡素な部屋でしたが、比較的広い部屋でした。入室後、添乗員さんが各部屋の様子を見回りに来たのに感激です。
到着は午後7時でしたが、まだ明るく、日没は9時過ぎでした。空港で仕入れてきたビールとフランスパンのサンドウィッチを食べて寝ました。夜中に宿泊していた生徒が廊下で騒いでいたので「静かに」と言ったら、直ぐに静かになりました。
集合が朝7時だったので、成田に前泊しました。航空会社はアシアナ航空で、まずインチョン(仁川)に向います。3番機です。
アシアナ航空は韓国のANAだそうで、2009年満足度第3位にランクされているようです。OZ107は定刻の9時にスポットを離れ9:25離陸しました。
2時間ほどでインチョンに到着しました。雨でした。乗継時間は1時間と短かったのですが、旅行中に飲むスコッチを購入でき無事フランクフルト行きのOZ541に乗り込むことができました。離陸は12:30でした。
機内は満席で、隣はドイツ旅行に行く韓国人2人組でした。レンターカーを借りてフランクフルトからベルリンに行くそうです。
離陸から1時間半、昼食が出ました。プルコギを選びました。
今日は雲で下は見えませんでしたが、最近は昼間の飛行でも窓を閉めさせます。昼寝の後、ウラル山脈の辺りから下が見え始めました。7時間が経っていました。
ロシアのサントペテルブルグ付近の湖沼の上を飛び、夕食が出ました。飛行9時間=着陸2時間前です。
バルト海を通り過ぎ、フランクフルト郊外の街が見えました。
定刻より少し早く16:50フランクフルトに到着しました。日本との時差はサマータイムなので7時間です。飛行時間は11時間20分でした。入国書類は必要ありません。
荷物の出てくるのが少し遅れ、1時間後にバスで出発です。
ブドウ畑の広がる道を今晩の宿泊地に向かいます。
宿はフランクフルトの南80kmのルードヴィヒスハーフェンです。
ホテルはエクセルシオールです。エアコンも冷蔵庫もない簡素な部屋でしたが、比較的広い部屋でした。入室後、添乗員さんが各部屋の様子を見回りに来たのに感激です。
到着は午後7時でしたが、まだ明るく、日没は9時過ぎでした。空港で仕入れてきたビールとフランスパンのサンドウィッチを食べて寝ました。夜中に宿泊していた生徒が廊下で騒いでいたので「静かに」と言ったら、直ぐに静かになりました。
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